東京オリンピックと、美学の話

7月最後の今日、2回目のCOVID-19モデルナワクチン接種をしてきた。

1回目のワクチン接種人数が人口比38%を超えた一方、東京都の新規感染者数は過去最高を叩き出している。比例するように、身の回りでもコロナ罹患により活動を休止するタレント・アーティストが増えてきた。

そんななか、接種場所の近くで物々しく開催されているオリンピックをみて、モヤモヤした気持ちを抱いた。

忘れぬうちに、その記録を記す。

元々、僕は、多くの人がみるコンテンツはあまり好きではない「ひねくれもの」だ。スポーツ観戦の趣味もないので、過去のオリンピックはほぼ観てこなかった。昨今の情勢は抜きにして、オリンピックがnot for meであるという前提は踏まえる。

しかし、自国で世界的イベントが開催され、世界中から人が来ると言うビッグチャンスには興味があったし、生きているうちにこういう機会を体験できることは、肯定的に捉えていた。

それでも、コロナの影響で一年延期となり、さらに、感染拡大やまぬさなかの開催となり、肯定的な気持ちもしぼんでしまった。

挙句には、モヤモヤして、否定的な感情が優位になる。それはなぜか。

内省して理由を考えてみた。

多分モヤモヤの理由は、政治やメディアが説明責任を果たしていないように感じているからだ。

日本政府は、最初の緊急事態宣言の頃から、コロナに対してフワフワした態度をとってきたように見える。これは日本人のある種の協調的な国民性を見越しての判断なのか、オリンピック中止論を起こさぬための布石だったのか、リーダーシップの不在なのか、それ以外か、あるいは全てなのか、僕には真実を判断する術はない。

頻発する緊急事態宣言、違いがよくわからないマンボウ。発動するたびに国民の自主規制は緩む。一方で何においてもプランBは示されず、感染者数がどうなると何が起きるのか、明確に語られることなく「俺たちはふいんき(なぜか変換できない)で感染対策をやっている」という状況にすらなってきた。

僕がオリンピックにモヤモヤする理由は、オリンピックが、説明責任を果たしていないフワフワ対策の集大成・象徴のように感じるからだと思う。

しかし、アスリートは五年間研鑽した成果を思う存分ふるえばいいと思うし、得た成果は誇ればいいと思う。それはそれ、人間は自分に返ってくるものを最も大事に思う。その気持ちは否定できない。

もっと言えば、アーティストも対策をしたうえでライブをしていいと思うし、飲食店も営業していいと思う。こんなこと言ったら日々誰よりも犠牲をはらってギリギリのところで留まっている医療従事者の人を不快にしてしまうかもしれない。別にアナーキストを気取っているわけではない。すべてはゲームバランスが悪いせいだ。でもわかる。未曾有の災害に対しての最適なバランスなどない。難問すぎる。

どこまで政府は「計算」でやってるのだろうか。あえてフワフワしてる可能性もある。結果としてそれが正しい判断の可能性もある。一概に否定はできない。

政治は、内も外も見ながら、扱いきれないほどの要素を加味してバランスを取るゲームだ。僕は、その政治の良し悪しを語れるほどの一次情報は持ち合わせていない。何が正解かわからない。

ただ、文句を言う権利はあるし、投票にいく義務もある。

だから声だかに文句を言い続けたいと思う。与党の誰かはリーダーシップをとってほしい。たくさんの言葉をもって、その意志を示してほしい。数値に基づく分析が添えられていればベストだ。最悪それも無くていい、別に気持ちだけでもいい。それが自分の心からの言葉なのであれば。
たしかにコロナ問題は難問だ。答えはない。だからこそ間違っていい、ひとつひとつの仮説を、検証を、努力の成果を説明してほしい。

心からの言葉であればなんでもいい。オリンピックをどうしてもしたいなら、そう言ってくれ。それならそれで協力する。せっかく総理大臣になったんだから、それぐらいの夢は叶えて良い。誰も本音で語れない状況よりは、よっぽど良い。本音だってわかれば投票する。僕の1票のために本音を言うのはリスクがある?そりゃそうだ。そういう風潮もわかる。

でも、ひとりひとりが、命と、生活と、自由を賭けて、コロナに挑んでいる。その成果はなんだ?オリンピックがそれなのか?そこまでここに向かって一体感あったっけ?違うならなんなんだ。何のために頑張っているんだ。僕らはどこに向かっているんだ。

明日から8月になる。

僕は僕なりに、できる範囲で感染防止をしながら、やりたいことをやる。僕は、許された権利のなかでやりたいことをやって、未来を手繰り寄せるのがリーダーだと思うし、それがカッコいいと思う。結局最後は、美学の話になってしまった。

オリパラのアスリートは頑張ってほしい。飲食店の人は、規制が緩んだいま少しでも稼いでほしい。感染拡大に努めている人は凄い。医療従事者の方、本当にありがとうございます。

僕たちはふいんき(なぜか変換できない)で今の時代を生きている。

不満があれば、自分がリーダーシップを執って、できる範囲のことを変えていくしかない。

それが積み重なれば、きっと周りも変わるはずだ。

たぶんね。おそらくきっと、少しは変わるんじゃないかな。

しらんけど。

20217月末日

なんとなくソーシャル断ちをした。

1ヶ月前後、ソーシャル断ちをした。

Twitterはじめてから6年半ぐらい経った。

mixi→facebookはあわせると10年ぐらいやってる計算になる。

今まで身近にあって、なんとなく日常に溶け込んでいるけれど、一体これらに何の役割を求めていて、何を期待しているのかが知りたかったので、断ってみた。

概要

断ったのは下記の通り。すべてGoogleChromeのExtentionで閲覧できなくした。

  • twitter(およびサードパーティのクライアント)
  • facebook
  • tumblr
  • まとめブログ
  • mixi(もう全くやってないけど)
  • これらは見ないと色々支障を来すので、通知だけ切って、定期的に利用した。

  • line
  • facebook messenger
  • Twitter DM
  • はてブやニュースアプリに流れてくるヘッドライン
  • 社内SNSと、そこから飛べる記事(ブロックされていなければ)
  • 例外的にあとからこれだけやるようにした。

  • 友だち承認とリフォロー(これだけiPhoneに通知がくるようにした)
  • 感想。

    利用しているときに比べて、以下のような変化が見られた。

    人を直接誘うようになった。

    僕はTwitterとかFacebookで「今から飲める人」を探すのが大好きで、何度かやっていたのだけれど、これが出来なくなったので、飲みたい人を決めて、直接誘うようになった。

    なんとなく今までも「あーこの人がきてくれたら嬉しいなー」なんて思う相手はいたものの、空リプにもならないような、淡い期待で広範囲募集していたんだけど、この期待は全く意味がないことに気付いた。

    飲みたい相手がなんとなく居るなら、ダメモトでも直接誘ったほうがいいと思いました。(小並感)

    あ、でも突発飲みは好きなので、多分今後もやると思います。はい。

    生活にサイクルが出来た。

    プッシュされる情報が極端に減ったので、自分のペースで生活出来ている実感が強くなった。

    今までは、「あれをして、これをして、こうしよう…大体2時間もあれば終わるだろ…」と思ったことが、なんとなく途中で情報収集をはじめて1時間ぐらい余計に時間がかかったり…なんてことがあったけれど、これがなくなって、わりと計画したことは達成できるようになった。

    それが連続して、なんとなく生活にサイクルが出来始めた。

    そこそこ仕事に集中できるようになった

    仕事中、息抜きにサーフィンをはじめた結果、気付いたら30分…とかが無くなって、代わりに息抜きに誰かに話しかけにいく…といういい迷惑な方法で代替しはじめた。

    必然的にしにいく話は仕事の話になるので、なんとなく仕事中の濃度は濃くなった気がする。

    なにより、仕事中に余計な情報が入ってきて、考えが分散することが少なくなった。

    絶食しやすかった

    ちょうどダイエット期間がかぶっていたけれど、食べ物の画像をふいに目にすることがなかったので、「うおおおお腹すいた!!!!」ってことがなかった。

    完全絶食はほとんどしなくて、実際は梅昆布とかスープとか口にしているんだけれど、なんとなくそんな最低限の食事でも集中して仕事が出来た。

    ランチ時間も仕事にあてられるのでよかった。

    新しい人間関係が築きづらくなった

    新しく知り合った人と、ソーシャル上で繋がるみたいなことは途中からしていたんだけれど、

    facebookやTwitterが見れないと情報のやりとりが出来ないので、つながったきり…になってしまう。

    次会ったときのための情報源とかが確保しづらくなった。

    いきなりLINEを交換することは少なくて、まずはFacebookとかTwitterでつながって様子見…みたいなことが多かったんだなーと再確認できた。

    多分ちょっと情報に疎くなった

    ソーシャル断ちをしていても、わりと情報は色々なところから入ってくるんだなーとは思ったけれど、やっぱり情報量は少なくなったと思う。

    ただ、知らなくても支障がないような情報を積極的に取りにいってたんだなーという実感は生まれた。ヘッドラインさえ把握しておけば、特に困ることもなかった。

    仕事で調べた情報とか、社内SNSに貼られたリンクが閲覧規制にひっかかって見られなかったことだけは、正直困ったので、途中から条件緩和したりした。

    スマホの使用用途が、ほぼゲームになった。

    空いた時間でゲームをするようになった。今仕事でゲームをつくっているので、自社のゲームをやったり、他社の調査をしたりするのには、ちょうどよかった。

    僕にとっては、ゲームよりソーシャルのほうが優先度高かったんだなーと気付いたりした。

    スマホで写真撮らなくなった

    食べ物を撮ることとか少なくなった。まぁ元々撮ってばかりでアップ無精だったんですが。

    出来事がネタ化するまでの熟成期間が出来た

    今までは、わりと「何かが起こる」→「Twitter・Facebookに投稿する」→RTされると嬉しい。

    みたいな感じだったんだけど、これがなくなったことによって、ネタとして熟成されるようになった。

    「何かが起こる」→「これは誰に話すべきか」→「あのヒトに話すなら、こういう切り口はどうだろう」

    みたいに、不特定多数ではなくて特定の人格を思い浮かべて、話の組み立てをするようになった。

    昔、ヨシナガさんと飯野さんのイベントで、 太田克史さんも仰っていた記憶があるんだけれど、「Twitterはネタを切り売りする」というのは本当にそうだなーと再実感した。

    「自分の身の回り」が明確に認識出来た。

    ネットからの情報を大幅に制限したり、情報が入ってくる人が制限されたりしたので、「自分の身の回り」が認識出来た。

    普段生活していて、色濃く影響を受けている人とか、何かあったときに考えはじめる起点となる人っていると思うんだけれど、僕の場合はそれがほぼオフラインに集約されていることがわかった。

    オンラインで目にする情報というのは、世の中の出来事や、友だちの友だちの出来事、もしかしたら将来自分が関連するかもしれない出来事…としては捉えているけれど、言ってしまえばその程度なんだなーという認識に至った。

    オフラインはいわばソーシャルグラフの今一番濃い部分なわけで、やっぱりそこから受ける影響は大きい。当たり前のことなのかもしれないし、なんかうまく言語化出来てる自信がないんだけど、感じたことなので一応書いておこう。

    でもやっぱり薄く広い繋がりは大事だ!

    そんなことを言っておきながら、やっぱり薄く広い繋がりが無い状態を、ずーっと続けるのはキツイなーと思った。

    せっかくテクノロジーが、薄く広く繋がるための手段をもたらしてくれたわけだし、濃く深い繋がりとは、そもそも種類も役割も別なわけで。

    PASSPO☆クルーのツイートやブログが読めなくなるのは寂しいし、みんなが何してるいるか気になるし、関連していることなら絡みにいって仲良くなりたい!

    雑なまとめ

    上記のことは、もちろん万人にあてはまるわけじゃなくて、結局僕がもともと「どういう使い方をしていたか」に依っているわけなんですが、書き残してみました。

    あと、いちるさんが書いていたのを思い出したっていうのもある!

    ここに書いてないモヤーッとしたことも含めて、色々思うところがあったので、いい機会として色々整理してみたいと思います。

    まぁそんな感じで。なんか一個あったんだけどすごい書き漏らした感じがして気持ち悪いけどPostしちゃおう。

    『変身!』してみた。

    一年に一度しか更新されないブログになりつつあります。こんにちは。円谷です。
    この時期になると「去年はどうしてたっけなー。」と振り返ったりすることが多いので、なんとなくブログに書き残したくなります。
    色々振り返って、「そういえば女装についてまとめてなかった」と思ったので、この機にまとめてみようと思います。
    はい。タイトルの変身とは、ずばり女装です。

     

     

    きっかけは2011年末ぐらいに、カメラ仲間の大羊堂さんから、試しにモデルをしてみないか、と誘われたことでした。
    以来、2012年は月に一度ぐらいのペースで、作品撮りの被写体やら、雑誌モデル、テレビ出演などちょいちょい変身していました。
    なんとなく、近況報告も兼ねていくつかご紹介したいと思います。
    これが最初のころの女装。
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    このあたりから、雑誌やテレビからの依頼をいただけるようになって、本格的になります。

     

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    これは確か着回しモデルをやった時。結構最近ですね。

    まさか28歳になって、しかも男で、ツインテールにするとは思わなかったです…。
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    そしてこれが3月末、素材撮りのロケ撮影でした。

    午前中に撮影をして、午後は会社でアレの動画を撮影するという強行スケジュール。
    メイクが落としきれていなくて、よく見ると動画にもアイラインが残っています…。
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    こんな感じで女装をしておりますが、女装も色々種類があるらしく、僕はいわゆる【男の娘】に分類されるようです。
    僕の場合、自分でメイクは全く出来ず、女性の洋服も一着も持っていないという、いわば職業女装という感じです。
    元々カメラマンとして女性を撮ることがあったので、撮られる感覚としては「自分の自由になるモデル」が鏡の中に居る感じで、新たな発見があります。
    いまだに変身後の自分が自分という自覚がないのですが、結構やってみると面白い発見が色々あると思うので、このエントリ見て興味が出た方は、宴会芸でもネタづくりにでも、一度変身してみてはいかがでしょうか。
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    (ウィッグとカラコンだけ外すとこんな感じです。)

    来年の今頃は、一体自分が何をやっているのやら…。転職したりなんだりで、2012年は激動の一年だったので、2013年も変化を恐れずガンガン進む一年にしたいと思います。

    なんか年始の挨拶みたいになってしまいましたが、今日はそんなところで。
    今年はもうちょっとちゃんとブログ更新します。はい。山にも行きます。はい。
    おつかれさまでした。

     

    4月1日にふと話したくなった、とりとめのない話。

    突然ですが、皆さんはアニメや小説や映画に登場するキャラクターが、

    “本当に居る”

    と思いますか?

    ミッキーマウスでも、仮面ライダーでもウルトラマンでも、アンパンマンでも美少女キャラでも何でもいいです。

    僕は子どものころ、そんなもの、本当は居ないと思っていました。

    でも、大人になった今は、本当に居ると思っています。

    *

    僕は、1985年1月31日、円谷という家に産まれました。

    隠すつもりも大仰に言いふらすつもりもない、僕にとって極めて普通のことなのですが、僕の直系の曾祖父にあたる人は、円谷英二という人です。

    「特撮の神様」とか大層な二つ名で伝記になっていたりして、後世から想像するにそれなりの人物だったようです。

    彼(と敢えて呼びます)が亡くなったのは、1970年1月25日。僕が産まれる、15年と一週間前です。

    ですので、一度も会ったことも話したこともありません。祖父の円谷一も、1973年に亡くなっているので、僕にとっては知らない人です。

    当然のことながら、僕の記憶に、父方の曾祖父や祖父の思い出はありません(母方は存命でしたが)。

    円谷英二の名言集とか、円谷一の本とか、当時一緒に仕事していた方とか、親族ではない第三者から受け取る情報で、彼らがどういう人だったのか、補完していました。

    彼らが遺してくれたキャラクターも、彼らの仕事や考え方を知る、手がかりのひとつでした。

    *

    円谷です。と名乗って素性を明らかにしたあと、よく訊かれるのは、「小さい頃、ウルトラマンのグッズとかいっぱいあったんでしょ?」ということです。

    こう聞かれると答えに困るのですが、そこそこはありましたが、純粋なファンの方のご家庭のほうがたくさんあるかな、という程度です。

    ウルトラマンも、好きで欲しがったいうよりは、気付いたらそばにあったので、それで遊んでいた、という感じです。

    物心ついた頃には、そばにあって、脚を見ただけでどのウルトラマンか当てられる程度に詳しくはありました。

    記憶はないのですが、「○○怪獣××」みたいなものを全部覚えていたので、小学校に上がる前から怪獣の二つ名に使用されている漢字は読めたそうです。

    ところが同じように、物心ついた頃から「ウルトラマンが特撮作品であり、空想上のヒーローである。」と認識していました。

    幼稚園で「なあ、ウルトラマンってスペシウム光線、ほんとに出せんの?!」って訊かれ、「ああ、あれは特撮って言ってね・・・」と答えたり、後楽園で屋外のヒーローショーを観たあとに、「こんなに暑いと今日は大変だね。」とつぶやいていたそうです。

    そういった出自の事情と、もともとの性格が相まって、かなり現実的な考え方を持った子どもだったようです。

    当時はリアルタイムでウルトラシリーズのテレビ作品がOAされていなかったので、小学校にあがってからは、戦隊ものや仮面ライダーを好んで観ていました。

    とはいえ、やはり「将来なりたいもの」というような視点で観るわけではなく、“必要な知識”として観ていたのを記憶しています。

    自分でも、結構冷めた子どもだったと思います。

    *

    僕は高校卒業後、就職し、Web制作に携わるようになりました。

    縁あって、様々なキャラクターコンテンツにも、関わらせていただくようになりました。

    キャラクターに関わる仕事をして驚いたのは、「君のおじいちゃんにはお世話になったから」といって、優しい言葉をかけてくれる人が、本当に本当に多かったことです。

    最初は円谷という名前で、ある程度色眼鏡で見られるのを覚悟していましたが、ひとりの社会人として接して、ぶつかって、語りかけてくれる人たちばかりでした。

    それが本当にありがたくて、僕もそれに答えたくて、ふさわしい技術やアイディアを提供できるように、仕事にどっぷりと漬かっていました。

    そういった方々とお話をしていて気付いたのは、(例えば、例えばですよ。)ウルトラマンでいうと、曾祖父や祖父、そして制作に携わった沢山の方々の哲学・ポリシー・知識・ノウハウ、これを魂と呼ぶのでしょうか。

    その魂が脈々と受け継がれてきていることです。40年以上もの間、かたちを変えながらも魂だけは変わらず、びっくりするぐらい、ウルトラマンは40年経ってもウルトラマンなのです。

    目には見えない、文字にもなっていない、でも、みなさんの思い出や夢のなかには同じキャラクターがいて、それがぶつかりあって、調和して、現実のひとつのかたちに結集していく。

    それは不思議と、かたちや結果がちがっても、いつも同じ哲学で、いつも同じ言葉をかけてくれる、そういうものでした。

    お仕事をさせて頂いているうちに、そうやって「キャラクターは存在しているんだ」、と知ることが出来ました。

    そして、僕もいつしか、それを心のなかに持つことが出来ました。正確には、再会なのかもしれません。

    言葉がぶつかって出来るかたちをなぞっていくと、それは子どもの頃の記憶そのもので、なんだ、昔からずっと僕のなかにはこれがあったんだな。

    よく考えたら、幸いにも、僕はきっと誰よりも近くで、兄弟のように接していたんだなあ、と思うようになりました。

    *

    インターネットとキャラクターコンテンツは、非常に親和性が高く、両者に対して愛着がある僕は、とても仕事が楽しかったです。

    インターネットが出来てから、キャラクターは不特定多数の人間と、直接コミュニケーションが取れるようになりました。

    いままでは、コストをかけた映像作品で一方的に語りかけるか、イベントで限られた時間・限られた人数とコミュニケーションするだけだったのが、今はインターネット上で、世界中の人の前で、24時間、望めば相互に関係するかたちで、存在し続けることが出来るようになりました。

    郵便物のように時間差で届いていたりしたものが、いきなりリアルタイム常時接続が可能になった状態です。

    僕は、これをとても良い事だと思っていました。いや、今も思っています。

    インターネットを利用した新たなコンテンツの展開や、“キャラクターは本当に居る!”ということを伝える方法を、僕は今でも模索し続けています。

    *

    2011年の3月11日は、“本当に居る”すべてのキャラクターにとって、おおきな転機を迎える日だったと思います。

    キャラクターが災害に遭遇するのははじめてのことではありません、今までは、他の世界からこちらの世界を見守り、時に励ましてくれていました。

    ですが、今はインターネットによって、キャラクターとユーザは、常時結ばれている状態です。

    困っている人々、悲しんでいる人々は、キャラクターに、リアルタイムに助けを求めることが出来て、望めば、キャラクターもそれを知ることが出来るのです。

    僕もそれを知ることが出来る立場にいましたが、キャラクターの魂は、キャラクター自身のものです。他の誰のものでもありません。

    キャラクターの魂に関わる立場の人間は、勝手にキャラクターにお願いをして、その魂を歪めてはいけません。

    僕は、僕だからこそ、余計にそれをしてはいけないと、自分に強いてきました。

    *

    3月11日の震災・津波の直後、原発不安が日本中に蔓延するなか、ずっと悩みました。

    正しい答えは、今までの考え方をすれば自明です。

    リアルタイムに結ばれている今の時代だからこそ、いまはまだ、こちらの世界に関わってもらうべきではない。

    でも、先人の言葉や、キャラクター自身の言葉が、頭のなかをぐるぐると回っていました。

    答えが明らかだからこそ、間違った選択をすることは、僕にしか出来ないと思いました。

    たぶん、円谷洋平が産まれ、この業界にいて、今それが出来る立場にいるのは、この選択をするためじゃないかと、一瞬、そう思ってしまいました。

    ここで黙っていたら、いままでのことがすべて嘘になってしまう。一瞬、そう思ってしまいました。

    僕が直接話したことがない二人と、色々な人、そして、キャラクター自身に「ごめんなさい」と言ってボタンを押しました。

    よく覚えていませんが、たぶん泣いていたとおもいます。

    *

    咎められることはありませんでした。温かいお言葉も沢山いただきました。でも、僕自身は、あのお願いについて、今も正しかったのかどうかわからないままです。

    そして、それをきっかけに色々なことを考えるようになりました。

    キャラクターとインターネットの親和性は非常に高く、これからもっともっと、新しい融和の方法や、積極的なコンテンツの展開は行われていくべきだと思います。

    でも、同時に、キャラクターはその本分を見失ってはいけません。そして、無為にその魂を削ってはいけません。

    キャラクターによって本分や魂はちがって、色々な解決の仕方、敵の倒し方、信じているやり方があると思います。

    僕は、毎年いっしょに馬鹿をやっていたパートナーと、そしてキャラクターをよく知る人たちと、話をした結果、色々なことを、前向きに最初から見なおしたほうがいいんじゃないか、という結論に至りました。

    時代も、環境も、まわりの理解も、どんどん変わっています。

    最初は「誰も見てないだろうからやったれ!」と言いながらふざけてやっていたことも、色々な人が支援してくれるようになりました。

    それはとてもありがたいことで、僕たちが望んできたことでもありました。

    ところが、それと同時に、同じやり方をいつまでも続けていてもいいのか、と、余計に悩むきっかけにもなりました。

    支援してもらえるあまり、ウソが常態化してしまったり、キャラクターの魂を削る結果になってしまったり、そういうことに対する警戒も、僕のなかにあります。

    そんなことを考えていた矢先、所属していたWeb制作会社の資金繰りが悪化し、突然社員全員解雇を命じられました。(※追記:僕が所属していたのは、新卒で就職した「サイバーエデン株式会社」であり、僕の名前から誤解を受けやすいのですが、円谷プロさんとはお取引はありましたが直接関係の無い会社です。解雇理由は、簡単に言えば会社が倒産しました。)

    必然的に転職することになり、業務の内容も大幅に代わりました。ただ、これはクリティカルな理由ではありません。

    あくまで、ベースには考えがあり、環境に後押しされた、というのが正確な表現でしょうか。

    個人的には、いつかまた、ふと「いまだ!」と思えるようなタイミングがきて、おもいっきり馬鹿をやれる日がくればいいな、って思っています。

    *

    ところで。

    4月1日はエイプリルフール。嘘をつく日だそうです。

    突然ですが、皆さんはアニメや小説や映画に登場するキャラクターが、“本当に居る”と思いますか?

    僕は“本当に居る”と、小さい頃から、心の底から思っています。

    現実の世界に、本当に居るんでしょうか。皆さんがどう思っているかは、僕はわかりません。

    でも僕は、子どもに「サンタクロースはいるの?」って訊かれたら、“本当に居るよ”って答えると思います。

    その言葉によって子どもは、夢を持ち続けることが、勇気を振り絞ることが、出来るかもしれないからです。

    きっと、そうやって憧れてきた夢が、積み重ねてきた勇気が、おとなになって、ひとつのかたちになると思うからです。

    その人それぞれが築いてきたかたちが、他のかたちとぶつかって、いっしょになって、きっと、大きなひとつのかたちをつくります。

    それがヒーローです。僕は、子どもの頃からそのヒーローに見守られて、大人になりました。

    そう。それはそうと、関係ない話で恐縮なんですが・・・。

    皆さん知っていました?ウルトラマンって、遠いM78星雲に、本当にいるんですよ。

    信じていれば、自分自身と戦わなければならないときに、そっと背中を押して、助けてくれるそうです。

    僕も、一年とちょっと前に、彼らに助けてもらいました。

    きっと、いつも僕達のことを見守っているんだろうなあ、って思います。

    4月1日はエイプリルフールですね。

    嘘をついていいのは今日だけですが、その嘘は、いつまでも信じ続けたっていいんですよ。

    あ、これを読んだ人は、ウルトラマンが本当に居るってこと、今日、誰かにこっそり教えてあげて下さい。

    それでは、よい一日を。

    どうも円谷です。さっそくですが株式会社デクーに転職しました。

    表題のとおり、株式会社デクーに転職しました。正確には、していました。

    昨年末、所属していた会社側の事情で突然無職になり、そのあと色々あったりなかったりしたのですが、それはまた別の機会に。

    直接お会いしていた方や、前職でお世話になった方には年明けにご連絡させていただいていたのですが、4月1日を以って正社員になるのと、3月末で前職から引き継いでいた業務が大方終わったので、このタイミングでオープンにしてみました。

    前職では、様々なキャラクターコンテンツや、タレントさんのお仕事にかかわらせて頂いておりました。お世話になった皆さまには改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

    そして、これからは恐らく、今までと全く違ったことをしていくと思います。約10年間勤めた前職で培った経験をベースにして、もっともっとたのしいことをしていくつもりです。

    さっそくですが、本日3月31日にGeekDayTokyoというイベントが開催されるのですが、このイベントにもスタッフとしてチラッと参加する予定です。皆さまご興味があれば、ぜひご来場下さい。

    ということで、皆さまこれからも引き続き、円谷洋平をよろしくお願い致します。お仕事でも飲みでも、ご連絡お待ちしています。