突然ですが、皆さんはアニメや小説や映画に登場するキャラクターが、
“本当に居る”
と思いますか?
ミッキーマウスでも、仮面ライダーでもウルトラマンでも、アンパンマンでも美少女キャラでも何でもいいです。
僕は子どものころ、そんなもの、本当は居ないと思っていました。
でも、大人になった今は、本当に居ると思っています。
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僕は、1985年1月31日、円谷という家に産まれました。
隠すつもりも大仰に言いふらすつもりもない、僕にとって極めて普通のことなのですが、僕の直系の曾祖父にあたる人は、円谷英二という人です。
「特撮の神様」とか大層な二つ名で伝記になっていたりして、後世から想像するにそれなりの人物だったようです。
彼(と敢えて呼びます)が亡くなったのは、1970年1月25日。僕が産まれる、15年と一週間前です。
ですので、一度も会ったことも話したこともありません。祖父の円谷一も、1973年に亡くなっているので、僕にとっては知らない人です。
当然のことながら、僕の記憶に、父方の曾祖父や祖父の思い出はありません(母方は存命でしたが)。
円谷英二の名言集とか、円谷一の本とか、当時一緒に仕事していた方とか、親族ではない第三者から受け取る情報で、彼らがどういう人だったのか、補完していました。
彼らが遺してくれたキャラクターも、彼らの仕事や考え方を知る、手がかりのひとつでした。
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円谷です。と名乗って素性を明らかにしたあと、よく訊かれるのは、「小さい頃、ウルトラマンのグッズとかいっぱいあったんでしょ?」ということです。
こう聞かれると答えに困るのですが、そこそこはありましたが、純粋なファンの方のご家庭のほうがたくさんあるかな、という程度です。
ウルトラマンも、好きで欲しがったいうよりは、気付いたらそばにあったので、それで遊んでいた、という感じです。
物心ついた頃には、そばにあって、脚を見ただけでどのウルトラマンか当てられる程度に詳しくはありました。
記憶はないのですが、「○○怪獣××」みたいなものを全部覚えていたので、小学校に上がる前から怪獣の二つ名に使用されている漢字は読めたそうです。
ところが同じように、物心ついた頃から「ウルトラマンが特撮作品であり、空想上のヒーローである。」と認識していました。
幼稚園で「なあ、ウルトラマンってスペシウム光線、ほんとに出せんの?!」って訊かれ、「ああ、あれは特撮って言ってね・・・」と答えたり、後楽園で屋外のヒーローショーを観たあとに、「こんなに暑いと今日は大変だね。」とつぶやいていたそうです。
そういった出自の事情と、もともとの性格が相まって、かなり現実的な考え方を持った子どもだったようです。
当時はリアルタイムでウルトラシリーズのテレビ作品がOAされていなかったので、小学校にあがってからは、戦隊ものや仮面ライダーを好んで観ていました。
とはいえ、やはり「将来なりたいもの」というような視点で観るわけではなく、“必要な知識”として観ていたのを記憶しています。
自分でも、結構冷めた子どもだったと思います。
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僕は高校卒業後、就職し、Web制作に携わるようになりました。
縁あって、様々なキャラクターコンテンツにも、関わらせていただくようになりました。
キャラクターに関わる仕事をして驚いたのは、「君のおじいちゃんにはお世話になったから」といって、優しい言葉をかけてくれる人が、本当に本当に多かったことです。
最初は円谷という名前で、ある程度色眼鏡で見られるのを覚悟していましたが、ひとりの社会人として接して、ぶつかって、語りかけてくれる人たちばかりでした。
それが本当にありがたくて、僕もそれに答えたくて、ふさわしい技術やアイディアを提供できるように、仕事にどっぷりと漬かっていました。
そういった方々とお話をしていて気付いたのは、(例えば、例えばですよ。)ウルトラマンでいうと、曾祖父や祖父、そして制作に携わった沢山の方々の哲学・ポリシー・知識・ノウハウ、これを魂と呼ぶのでしょうか。
その魂が脈々と受け継がれてきていることです。40年以上もの間、かたちを変えながらも魂だけは変わらず、びっくりするぐらい、ウルトラマンは40年経ってもウルトラマンなのです。
目には見えない、文字にもなっていない、でも、みなさんの思い出や夢のなかには同じキャラクターがいて、それがぶつかりあって、調和して、現実のひとつのかたちに結集していく。
それは不思議と、かたちや結果がちがっても、いつも同じ哲学で、いつも同じ言葉をかけてくれる、そういうものでした。
お仕事をさせて頂いているうちに、そうやって「キャラクターは存在しているんだ」、と知ることが出来ました。
そして、僕もいつしか、それを心のなかに持つことが出来ました。正確には、再会なのかもしれません。
言葉がぶつかって出来るかたちをなぞっていくと、それは子どもの頃の記憶そのもので、なんだ、昔からずっと僕のなかにはこれがあったんだな。
よく考えたら、幸いにも、僕はきっと誰よりも近くで、兄弟のように接していたんだなあ、と思うようになりました。
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インターネットとキャラクターコンテンツは、非常に親和性が高く、両者に対して愛着がある僕は、とても仕事が楽しかったです。
インターネットが出来てから、キャラクターは不特定多数の人間と、直接コミュニケーションが取れるようになりました。
いままでは、コストをかけた映像作品で一方的に語りかけるか、イベントで限られた時間・限られた人数とコミュニケーションするだけだったのが、今はインターネット上で、世界中の人の前で、24時間、望めば相互に関係するかたちで、存在し続けることが出来るようになりました。
郵便物のように時間差で届いていたりしたものが、いきなりリアルタイム常時接続が可能になった状態です。
僕は、これをとても良い事だと思っていました。いや、今も思っています。
インターネットを利用した新たなコンテンツの展開や、“キャラクターは本当に居る!”ということを伝える方法を、僕は今でも模索し続けています。
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2011年の3月11日は、“本当に居る”すべてのキャラクターにとって、おおきな転機を迎える日だったと思います。
キャラクターが災害に遭遇するのははじめてのことではありません、今までは、他の世界からこちらの世界を見守り、時に励ましてくれていました。
ですが、今はインターネットによって、キャラクターとユーザは、常時結ばれている状態です。
困っている人々、悲しんでいる人々は、キャラクターに、リアルタイムに助けを求めることが出来て、望めば、キャラクターもそれを知ることが出来るのです。
僕もそれを知ることが出来る立場にいましたが、キャラクターの魂は、キャラクター自身のものです。他の誰のものでもありません。
キャラクターの魂に関わる立場の人間は、勝手にキャラクターにお願いをして、その魂を歪めてはいけません。
僕は、僕だからこそ、余計にそれをしてはいけないと、自分に強いてきました。
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3月11日の震災・津波の直後、原発不安が日本中に蔓延するなか、ずっと悩みました。
正しい答えは、今までの考え方をすれば自明です。
リアルタイムに結ばれている今の時代だからこそ、いまはまだ、こちらの世界に関わってもらうべきではない。
でも、先人の言葉や、キャラクター自身の言葉が、頭のなかをぐるぐると回っていました。
答えが明らかだからこそ、間違った選択をすることは、僕にしか出来ないと思いました。
たぶん、円谷洋平が産まれ、この業界にいて、今それが出来る立場にいるのは、この選択をするためじゃないかと、一瞬、そう思ってしまいました。
ここで黙っていたら、いままでのことがすべて嘘になってしまう。一瞬、そう思ってしまいました。
僕が直接話したことがない二人と、色々な人、そして、キャラクター自身に「ごめんなさい」と言ってボタンを押しました。
よく覚えていませんが、たぶん泣いていたとおもいます。
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咎められることはありませんでした。温かいお言葉も沢山いただきました。でも、僕自身は、あのお願いについて、今も正しかったのかどうかわからないままです。
そして、それをきっかけに色々なことを考えるようになりました。
キャラクターとインターネットの親和性は非常に高く、これからもっともっと、新しい融和の方法や、積極的なコンテンツの展開は行われていくべきだと思います。
でも、同時に、キャラクターはその本分を見失ってはいけません。そして、無為にその魂を削ってはいけません。
キャラクターによって本分や魂はちがって、色々な解決の仕方、敵の倒し方、信じているやり方があると思います。
僕は、毎年いっしょに馬鹿をやっていたパートナーと、そしてキャラクターをよく知る人たちと、話をした結果、色々なことを、前向きに最初から見なおしたほうがいいんじゃないか、という結論に至りました。
時代も、環境も、まわりの理解も、どんどん変わっています。
最初は「誰も見てないだろうからやったれ!」と言いながらふざけてやっていたことも、色々な人が支援してくれるようになりました。
それはとてもありがたいことで、僕たちが望んできたことでもありました。
ところが、それと同時に、同じやり方をいつまでも続けていてもいいのか、と、余計に悩むきっかけにもなりました。
支援してもらえるあまり、ウソが常態化してしまったり、キャラクターの魂を削る結果になってしまったり、そういうことに対する警戒も、僕のなかにあります。
そんなことを考えていた矢先、所属していたWeb制作会社の資金繰りが悪化し、突然社員全員解雇を命じられました。(※追記:僕が所属していたのは、新卒で就職した「サイバーエデン株式会社」であり、僕の名前から誤解を受けやすいのですが、円谷プロさんとはお取引はありましたが直接関係の無い会社です。解雇理由は、簡単に言えば会社が倒産しました。)
必然的に転職することになり、業務の内容も大幅に代わりました。ただ、これはクリティカルな理由ではありません。
あくまで、ベースには考えがあり、環境に後押しされた、というのが正確な表現でしょうか。
個人的には、いつかまた、ふと「いまだ!」と思えるようなタイミングがきて、おもいっきり馬鹿をやれる日がくればいいな、って思っています。
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ところで。
4月1日はエイプリルフール。嘘をつく日だそうです。
突然ですが、皆さんはアニメや小説や映画に登場するキャラクターが、“本当に居る”と思いますか?
僕は“本当に居る”と、小さい頃から、心の底から思っています。
現実の世界に、本当に居るんでしょうか。皆さんがどう思っているかは、僕はわかりません。
でも僕は、子どもに「サンタクロースはいるの?」って訊かれたら、“本当に居るよ”って答えると思います。
その言葉によって子どもは、夢を持ち続けることが、勇気を振り絞ることが、出来るかもしれないからです。
きっと、そうやって憧れてきた夢が、積み重ねてきた勇気が、おとなになって、ひとつのかたちになると思うからです。
その人それぞれが築いてきたかたちが、他のかたちとぶつかって、いっしょになって、きっと、大きなひとつのかたちをつくります。
それがヒーローです。僕は、子どもの頃からそのヒーローに見守られて、大人になりました。
そう。それはそうと、関係ない話で恐縮なんですが・・・。
皆さん知っていました?ウルトラマンって、遠いM78星雲に、本当にいるんですよ。
信じていれば、自分自身と戦わなければならないときに、そっと背中を押して、助けてくれるそうです。
僕も、一年とちょっと前に、彼らに助けてもらいました。
きっと、いつも僕達のことを見守っているんだろうなあ、って思います。
4月1日はエイプリルフールですね。
嘘をついていいのは今日だけですが、その嘘は、いつまでも信じ続けたっていいんですよ。
あ、これを読んだ人は、ウルトラマンが本当に居るってこと、今日、誰かにこっそり教えてあげて下さい。
それでは、よい一日を。
はじめまして
私は「チロリン村とくるみの木」が終了した時に悲しくて泣きました。
「ひょっこりひょうたん島」を初めて観た時には何という人形だろうグロテスクとまで思いましたが、すぐに感情移入して今でもテーマソングを聴くと歌いだしてしまうほどです。
「ウルトラQ」から続く「ウルトラマン」の一回目で何てハンサムなんだろうと初恋かもしれません。孤独だったせいか子供だからかキャラクターをヒーロー以上に感じていました。
先日、偶然に息子が小さいときに送ってもらった「ウルトラマンからの手紙」にあったサイン付き写真を見つけ、ファンの手に渡るようにとヤフオクに出品していましたが、取り消しました。
私の初恋の人だということを今思い出させていただきました、ありがとう。
初めまして
3.11のくだりで、かつてアメリカで9.11が起きた直後、アメリカン・コミック
のスーパーヒーロー達がこの惨事を事前に防げなかったのを深く悔いる
シーンが数多く描かれたのを、思い出しました。
Pingback: 2012年04月01日(日)の日常 - okaz::だめにっき
I love ultraman,especially dyna!
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